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言語に魅せられて‐その1

 

Like most translators, I don’t just do this job to pay the bills… I simply love working with language. I’ve always been a “words person.” In fact, this plays out in my life in a number of distinct ways. I will always prefer e-mailing to phoning. Compliments or criticisms leave a far greater imprint on me in writing than when spoken.

 

Going back a little further, although tying shoelaces, naming colours and learning left from right were great childhood challenges, reading came very naturally. I am forever grateful that as a child, without the distraction of the Internet (feeling my age as I say that), each week saw me buried in numerous library books; whizzing through them cover to cover and absorbing vocabulary and expressive powers in the process.

ほとんどの翻訳者がそうであるように、自分は生活のためだけにこの仕事をしているのではありません。単に、ことばを扱うのが好きだからです。「言語好き」は今に始まったことではありません。

 

普段の生活でも、さまざまな場面でつくづく「言語好き」だなと思います。例えば、電話よりもメールが好き。褒められたり批判されたりするのは、話し言葉よりも書き言葉での方がずっと心に深く残ります。

 

さらに遡ると、子供の頃に靴の紐を結んだり、色の名前を覚えたり、右と左を区別できるようになるのにはとても苦労しましたが、本を読むことは自然に身に付きました。子供時代に、インターネットという邪魔者もなく(歳を感じますが)、図書館で借りてきた数えきれないほどの本を次から次へと読み漁り、ことばや表現力を吸収できたことは一生の感謝に値します。

 

今は、多くの人と同じように家庭を持ち、フルタイムの仕事をこなす中、Amazonを定期的に利用しながらも、新しい本を読む時間はたまにしかない贅沢となりました。ですので、なおさら、子供時代に多くの本を読んでおいてよかったと思います。I wasn’t a “Kindle Kid”!

 

フランス語とドイツ語を勉強し始めた頃、新たな言語の世界に想像力を掻き立てられました。自由奔放だったため、厳格な先生とよく衝突したものです。もちろん、そういった先生たちに対しても深く感謝しています。当時学んだことは確かな基礎となってこれまでの人生に役立ったし、これからもずっと役立つでしょう。

 

大学に入って最初に感銘を受けた言葉、それは「Don’t translate words, translate ideas」(単語ではなく、メッセージを訳せ)でした。初めて訳したぎこちない文「Rabelais’ exploration of teaching」が、教師の魔法にかかって瞬く間に「Rabelais’ flights of fantasy into the realms of learning」と変わったことは忘れられません。

メッセージを翻訳するには、単語だけでなく、原文を書いた人の考え方を理解し、翻訳言語で自然に表現することが大切です。読者に翻訳文を読んでいると感じさせない文章、最初から訳文の言語で書かれたかのように自然な文章で訳せれば最高です。

 

直訳と実際の意味にどれだけの開きがあるか、例を挙げてみます。

母親が子供によく言う言葉
“Would you like to tidy your room?”(お部屋のお片づけをしましょうね)
[直訳] “Would it give you pleasure to tidy your room?”(お部屋のお片づけは楽しいわよね)
[*実際*の意味] “Tidy your room now!”(さっさと部屋を片付けなさい!)

 

実際の意味は、社会文化的な側面があって初めて理解されます。すなわち文脈(散らかっている部屋を片付けさせるには、片付けなさいと命令する方がお片付けをしましょうと表向きに「誘う」によりもはるかに説得力がある )、常識や経験から得た知識(部屋の片付けが楽しいわけはなく、「誘われて」するものではない)、英国の控えめな表現、慎重であいまいな言い回し、そしておそらくは母親の育ちなども重要な要因となります。

例2 寒い部屋にAとBがいます。Aが窓を開けました。
B:[窓の方を睨みながら]「何かちょっと寒くない?」
A:[窓を閉める]「ごめん!だよね。」

[直訳] 「部屋の温度、低いよね。」
[ 実際の意味] 「窓を閉めろ!」

 

これは間接的な表現、特に丁寧な言い回しの例です。AとBに上下関係があったら、例えばBが上司だったら、直訳が適切な場合もあります(Bは優しい表現など抜きにして、単に「窓を閉めなさい!」と言う)。

 

このような言い方はわかりやすく、実際の場面では2人が相手の言語をうまく話せない場合でも通じるでしょう。人間には「冷徹」「丁寧」「お願い」といった概念が通じます。

 

とはいえ、上記の例は、機械翻訳に何十億というお金が投資されながら、未だに質の高い翻訳を生み出せない理由を説明しています。翻訳は、文法や語彙という糊で固めた複数の単語を扱うだけにとどまりません。人の考えや感情を記録し、運び、伝える言葉には、わかりやすく明快なものもあれば、筋が通らず意味のわからないものもあります。

 

言語は繊細さと複雑性に満ちており、人間に大きく依存しています。

 

その意味で、機械翻訳はこの先何年も人間に追いつくことはないでしょう。

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